蔵書情報
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書誌情報サマリ
タイトル |
浜松市史 新編史料編6
|
著者 |
浜松市/編集 |
出版者 |
浜松市
|
出版年月 |
2010.3 |
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
配架場所 |
請求記号 |
資料番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
中央 | 調査 | S246/ハ/ | 122085566 | 静岡資料 | 持出禁止 | 利用可 |
× |
2 |
清水中央 | 清2/郷土 | S246/ハ/ | 119751895 | 静岡資料 | 持出禁止 | 利用可 |
× |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
図書 |
タイトル |
浜松市史 新編史料編6 |
巻次 |
新編史料編6 |
著者名 |
浜松市/編集
|
著者 ヨミ |
ハママツシ |
出版者 |
浜松市
|
出版年月 |
2010.3 |
ページ数、枚数 |
31,1148p 図版 |
大きさ |
22cm |
価格 |
頒価不明 |
言語区分 |
日本語 |
分類10版 |
S246 |
分類9版 |
S246 |
注記 |
別冊付録:(1 五万分の一地形図 浜松 2 五万分の一地形図 磐田) |
件名 |
浜松市-歴史 |
内容紹介 |
口絵、序、凡例、一、政治・行政、都市計画事業、行政、公害・環境、住民運動・広域交流・国際化、市町村合併と政令指定都市、二、自衛隊・警察・消防・災害・防災、自衛隊、警察、消防、災害・防災、三、教育、幼稚園・義務教育、高等学校、大学、養護教育、各種学校と専門学校等、教育行政と教員研修、社会教育とスポーツ、四、宗教・報徳、神社、仏教、キリスト教、新宗教の社会的活動、宗教と自治会、報徳社、五、産業・経済、経済一般・金融、商業、鉱工業、農業、水産業、六、交通・通信、道路・橋梁、陸上・海上輸送ほか、交通安全・交通規制・交通安全施設、東海道本線・新幹線・浜松駅、遠州鉄道、二俣線・佐久間線ほか、バス・タクシー、郵便・電信・電話ほか、ラジオ・テレビ、七、社会、市民生活、社会福祉、労働、社会運動、行事・風俗・娯楽・観光、子どもの世界、八、医療・厚生、医療・厚生、保健・衛生、予防・検診、発症事例、九、文学・文化、文学、文化、解題・解説、あとがき、別冊、5万分の一地形図、浜松、建設省国土地理院発行、平成元年、5万分の一地形図、磐田、建設省国土地理院発行、平成元年、口絵目次、1、浜松駅上空から見た市街地、(平成1年)、『ガイドブックはままつ‘89』、(市勢要覧)、2、建設が進む浜松テクノポリス、(平成5年)、『浜松地域テクノポリス 西遠広域都市計画事業 都田土地区画整備事業完工記念誌』、都市計画部都田地区開発事務所発行、3、アクトシティ浜松、(平成6年)、『HAMAMATSU ACT CITY October 1994』、浜松市 第一生命保険相互会社 三菱地所株式会社発行、4、選抜高校野球で優勝した浜松商業高校、(昭和53年)、『第50回選抜高校野球大会優勝記念誌 闘魂』、浜松商業高等学校野球部OB会発行、㈱毎日写真ニュースサービス社製作、5、開学十周年を迎えた浜松医科大学、(昭和59年)、『浜松医科大学開学十周年記念誌』、開学十周年記念事業実行委員会、記念誌編集委員会発行、6、復興した五社神社、諏訪神社、(平成5年)、『五社神社、諏訪神社 御社殿復興工事竣工記念誌』、五社神社、諏訪神社 社務所発行、7、遠州織物の工場、(昭和42年)、『はままつ‘67、昭和42年版、市勢要覧』、8、ゆかた地の乾燥、(昭和50年)、『はままつ1975』、(市勢要覧)、9、アルコモール有楽街、(平成8年)、『ガイドブックはままつ‘96』、(市勢要覧)、10、テイボーのペン先、(平成9年)、『テイボー101年史』、テイボー101年史編纂委員会発行、11、庄内ガーベラの栽培、(平成13年)、『第四次浜松市総合計画、新基本計画2001-2010』、浜松市企画部企画課編集、12、光電子増倍管、(浜松ホトニクス)、(平成13年)、『写真集 浜松 技術と文化の世界都市』、浜松市総務部広聴広報課発行、13、東海道本線高架化直前の浜松駅周辺、(昭和53年)、『はままつ 1978 市勢要覧』、、14、浜松駅高架完成、(昭和54年)、『浜松駅周辺土地区画整理事業(事業計画編)』、浜松市都市計画公園部都市整備課発行、15、浜松駅前バスターミナル、(昭和57年)、『浜松市営バス記念誌』、浜松市市長室自動車運送事業清算事務局発行、16、観光開発が進む舘山寺、(昭和40年)、『浜松 1965 昭和40年版 市勢要覧』、17、低くなり始めた中田島砂丘、(昭和45年)、『浜松 1970 昭和45年版 市勢要覧』、18、湖東団地の市営住宅、(昭和52年)、『はままつ 1977 市勢要覧』、19、浜松おどり「やらまいか」、(平成5年)、『ガイドブックはままつ‘93』、(市勢要覧)、20、浜名湖花博のほほえみの庭、(平成16年)、『浜名湖花博公式記録』、財団法人静岡国際園芸博覧会協会発行、21、別館完成後の県西部浜松医療センター、(昭和50年)、『県西部浜松医療センター』、県西部浜松医療センター発行、22、浜松わたしのイメージ大賞作品「朗」、(昭和60年)、『‘85今日のはままつ あすの浜松』、(市勢要覧)、23、第1回浜松国際ピアノコンクール、第1位に輝いたババヤンさん、(平成3年)、『第1回浜松国際ピアノコンクール報告書』、浜松国際ピアノコンクール事務局、24、アカウミガメの放流、(平成14年)、『浜松市市勢要覧2002 きらめく浜松』、25、新型清掃車(圧縮、方向転換)の導入、(昭和34年)、『市政ニュース写真集』、昭和34年12月16日、26、下水道の建設開始、(昭和35年)、『市政ニュース写真集』、昭和35年3月1日、27、浜松市民会館の落成、(昭和36年)、『広報はままつ』、第165号、28、ごみ収集は紙ぶくろで、(昭和40年)、『市政ニュース写真集』、昭和40年7月、29、市役所電子計算機の火入れ式、(昭和41年)、『市政ニュース写真集』、昭和41年2月、30、一日市役所の開催、(昭和45年)、『広報はままつ フォトニュース』、第41号、31、無公害の北部清掃工場、(昭和49年)、『広報はままつ フォトニュース』、第90号、32、ごみ10%減量運動、(平成4年)、『五つの市民運動カレンダー、平成4年版』、浜松市発行、33、中核市となった浜松市、(平成8年)、『広報はままつ』、第982号、34、資源物の分別収集、(平成9年)、『広報はままつ』、第1002号、35、政令指定都市移行のPR用看板、(平成18年)、『政令指定都市へのあゆみ』、浜松市企画部企画課編集、36、はしご消防車の導入、(昭和35年)、『市政ニュース写真集』、昭和35年3月1日、37、航空自衛隊浜松北基地、(昭和35年)、『浜松 1960 市勢要覧 昭和35年版』、38、田町防火帯建築の完成、(昭和36年)、『市政ニュース写真集』、昭和36年1月16日、39、厚生年金浜松市体育館、(昭和38年)、『厚生年金浜松市体育館』、(パンフレット)、浜松市発行、40、静岡大学電子工学研究所、(昭和40年)、『静岡大学テレビジョン技術史』、財団法人浜松電子工学奨励会発行、、41、三方原台地に移転した浜松工業高校、(昭和40年)、『わが学び舎わが師わが友 創立70周年記念写真集』、静岡県立浜松工業高等学校70周年記念誌編集委員会編集、42、昼間定時制の浜松城南高校、(昭和48年)、『未来はてなき青春像 閉校記念誌』、静岡県立浜松城南高等学校、閉校記念事業実行委員会発行、43、浜松市武道館、(昭和52年)、『浜松市武道館』、(パンフレット)、浜松市発行、44、静岡文化芸術大学、(平成12年)、『出会う 感じる 創造する』、(大学概要)、静岡文化芸術大学発行、45、復興した天林寺、(昭和61年)、『真徳山天林寺本堂落慶法要録』、真徳山、天林寺発行、46、犀ヶ崖で行われている遠州大念仏、(平成4年)、『指定文化財のしおり』、浜松市教育委員会発行、47、日本初の電子オルガンの広告、(昭和34年)、『ヤマハエレクトーン』、(カタログ)、日本楽器製造株式会社発行、48、耕うん機の講習会、(昭和35年)、『市政ニュース写真集』、昭和35年2月16日、49、小沢渡(鉄工)団地協同組合、(昭和37年)、南区小沢渡町、株式会社増田鉄工所提供、50、進む土地改良事業、(昭和41年)、『市政ニュース写真集』、昭和41年4月、51、三方原用水の通水、(昭和42年)、『広報はままつ』、第317号、52、ホンダ二輪車生産1000万台を達成、(昭和43年)、本田技研工業株式会社、53、スズキの新入社員・647人、(昭和44年)、『すゞき』、№77、鈴木自動車工業株式会社発行、54、新幹線電車全般検査200編成を達成、(昭和45年)、『六十年史』、日本国有鉄道浜松工場発行、55、浜松卸商団地の誕生、(昭和46年)、『広報はままつ』、第407号、56、県下最大の百貨店・西武浜松店の開店広告、(昭和46年)、『浜松商工時報』、第359号、浜松商工会議所発行、57、総合産業展示館での見本市、(昭和46年)、『広報はままつ』、第420号、58、ユニー浜松泉町ショッピングセンターの開店広告、(昭和48年)、『静岡新聞』、昭和48年9月28日、59、浜松市中央卸売市場、(昭和54年)、『浜松市中央卸売市場』、(パンフレット)、浜松市中央卸売市場発行、60、松菱百貨店の自己破産を報じる新聞、(平成13年)、『中日新聞』、平成13年11月14日夕刊、61、NHK浜松テレビジョン放送局開局記念パレード、(昭和34年)、『市政ニュース写真集』、昭和34年、62、新川駐車場、(昭和39年)、『浜松1964昭和39年版 市勢要覧』、63、新幹線浜松駅の開業、(昭和39年)、『市政ニュース写真集』、昭和39年10月、64、奥山線の廃止、(昭和39年)、『市政ニュース写真集』、昭和39年11月、65、開通直前の東名高速道路、(浜松インターチェンジ)、(昭和43年)、『広報はままつ』、第347号、66、国1浜松バイパス完成前の交通混雑、(塩町から旅籠町を望む)、(昭和44年)、『広報はままつ』、あすへの窓(1)、'69・秋、、67、国1浜松バイパスの開通、(安新町バイパス入口)、(昭和44年)、『広報はままつ』、第369号、68、遠州鉄道高架の完成、(昭和60年)、『社内報 えんてつ』、№247、遠州鉄道株式会社発行、69、市営バスの廃止、(昭和61年)、『浜松市営バス記念誌』、浜松市市長室自動車運送事業清算事務局発行、70、天竜浜名湖鉄道の開業、(昭和62年)、『地域とともに、走り続けて…10年』、天竜浜名湖鉄道株式会社発行、71、オムニバスの導入、(平成13年)、『平成13年度、浜松市の主要事業の概要』、浜松市企画部企画課発行、72、浜松市児童会館の開館、(昭和37年)、『浜松 1992 市勢要覧 昭和37年版』、73、老人ホーム・佐鳴荘、(昭和39年)、『広報はままつ』、第251号、74、集団就職者ぞくぞく浜松へ、(昭和45年)、『広報はままつ』、第380号、75、市内初の乳児保育園誕生、(昭和47年)、『広報はままつ』、第431号、、76移動入浴者・はまかぜ号での入浴サービス、(昭和49年)、『広報はままつ』、第485号、76、移動入浴者・はまかぜ号での入浴サービス、(昭和49年)、『広報はままつ』、第485号、77、シルバー人材センターの活動、(平成3年)、『シルバー浜松』、第23号、社団法人浜松市シルバー人材センター発行、78、小児マヒ生ワクチンの投与、(昭和36年)、『市政ニュース写真集』、昭和36年8月、79、市立病院に鉄の肺導入、(昭和36年)、『広報はままつ』、第173号、80、静岡労災病院、(昭和42年)、『はままつ'67、昭和42年版、市勢要覧』、81、夜間救急室の開設、(昭和49年)、『広報はままつ』、第481号、82、日本初のホスピス・聖隷ホスピス、(昭和60年)、『聖隷ホスピス』(パンフレット)、社会福祉法人、聖隷福祉事業団、総合病院、聖隷三方原病院発行、83、浜松市美術館、(昭和46年)、『広報はままつ』、第410号、84、木櫛手作り技術を持つ松山鐵男さん、(昭和52年)、『はままつ、1977、市勢要覧』、85、浜松市博物館、(昭和54年)、『浜松市博物館概要、昭和54年』、浜松市博物館発行、86、賀茂真淵記念館、(昭和59年)、『浜松市立賀茂真淵記念館の概要』、浜松市教育委員会発行、87、公立初の浜松市楽器博物館、(平成8年)、『浜松市楽器博物館、東地区の土地区画整理、10、平13・10・5、都市計画のマスタープラン、二、行政、11、昭35・3・28、浜松市名誉市民条例、12、昭36・7・1、多彩な市制五十周年記念行事、13、昭38・9・5、新しい住居表示法、14、昭41・3・22、市庁舎の増築完成と公害係・観光課の新設、15、昭41・9・10、市役所での電子計算機の使用開始、16、昭43・7・5、大原浄水場の給水開始、17、昭45・3・9、浜松市総合開発基本構想、18、昭45・6・1、浜松市の三公社、19、昭46・7・1、市旗・市木・市花・市歌の制定、、20、昭47・11・20、斎場会館の開館、21、昭60・7・20、市民サービスセンターの開設、22、昭62・4・1、都市景観条例のスタート、23、昭63・719、クリエート浜松の開館、24、平4・5・27、自治会の法人化、25、平8・1・20、中核市への移行、26、平8・4・20、行政改革の推進、27、平13・11・5、市職員の倫理条例、28、平16・10・11、浜名湖花博の閉会にあたって、三、公害・環境、29、昭36年~50年、公害苦情件数の推移と環境行政、30、昭40・5・6、ごみ収集、ごみ箱から紙ぶくろ方式に、31、昭42・2・20、新幹線騒音の防音工事、32、昭44・3月、馬込川の汚濁とその対策、33、昭47・7・5、PCBの使用禁止、34、昭53・12・6、浜松市西部衛生工場問題、35、昭56・4・1、浜松市南部清掃工場の稼働、36、昭61・3・26、川や湖をきれいにする運動の推進、37、平4・3月、みどりの方針と目標、38、平4・9月、平和破砕処理センターの完成、39、平5・11・20、全国平均に近づいた下水道普及率、40、平8・12・5、資源物の分別収集、41、平11・1月、環境基本条例の施行、四、住民運動・広域交流・国際化、42、昭63・4・13、国際コンベンション都市の指定、43、昭63年~平11年、外国人登録国籍別人員の変遷、44、平1・2・28、一力一家の追放運動、45、平8・1・5、広がる三遠南信交流、46、平13・10・19、外国人集住都市会議、浜松宣言、五、市町村合併と政令指定都市、47、平3・2・20、可美村の浜松合併、48、平14・8・20、政令指定都市の実現を目指して、49、平15・9・29、天竜川・浜名湖地域合併協議会設置届と設置理由書、50、平19・4・1、政令指定都市の誕生、二、自衛隊・警察・消防・災害・防災、一、自衛隊、1、昭36・1・20、北基地の危険地帯、谷上の農家が移転、2、昭36・1・20、航空自衛隊浜松南基地の概要、3、昭36・4月、自衛隊員の募集、4、昭39・10・22、見事だった五輪絵図、5、昭44・1・31、教導高射隊の発足、6、昭59・11・4、浜松北基地の航空祭、7、昭61・4・13、第一航空団の創設三十周年、8、平1・3・1、南・北基地の廃止と浜松基地の誕生、9、平1・4・17、パトリオット、浜松基地に配備、10、4・2・15、新幹線も止めた不発弾処理、11、平10・3・25、実践基地になった浜松、二、警察、12、昭36・6・13、初夏の防犯運動に協力を、13、昭40・12・6、暴力追放の市民運動を、14、昭40年~46年、交通警察の充実、15、昭41年、暴力団の壊滅、16、昭44・4・5、大交番の誕生、17、昭45・12月か、金融機関の犯罪予防、18、昭53年、浜松中央署管内の犯罪白書、19、昭57・4・1、恐怖の覚せい剤、、20、昭60・3・26、暴走族根絶に関する決議、21、平2・4・2、浜北警察署の開設、22、平10年、外国人の犯罪、23、平11・4月、浜松の犯罪概況、三、消防、24、昭35・2・19、県下初めてのはしご消防車、25、昭35・8・20、初めての救急車、26、昭36・1・20、防火高層商店街の完成、27、昭36・4・1、手押しポンプ時代の終えん、28、昭36・7・20、防火管理者制度の発足、29、昭38・1・26、消防行政に関するお願い、30、昭40・7・1、東部消防署の発足、31、昭41・6・25、三十二メートルのはしご車導入、32、昭42・2・5、増える救急車の出動、33、昭45・9・28、消防新庁舎の落成、四、災害・防災、34、昭34・9・26、伊勢湾台風の猛威、35、昭36・8・5、市の非常災害対策、36、昭37・9・5、竜巻浜松襲う、37、昭38・3・25、浜松市水防団の設置、38、昭38・4・5、五島灯台の新設、39、昭47・3月、浜松海岸の浸食、40、昭49・7月、七夕豪雨の惨禍、41、昭49年、七夕豪雨の状況と被害、災害対策の要望、42、昭50・10・30、自主防災組織の結成、43、昭55・3月、東海地震の防災計画と危険度試算、44、昭57・3月、天竜川堤防の改修、45、昭61・11・12、都田川ダムの完工式、46、昭61・12・7、東海地震に備えての地域防災訓練、47、昭62・3・5、都市型水害の防止へ、48、平1・4・20、地域防災無線の導入、三、教育、一、幼稚園・義務教育、1、昭34・3・12、統合中学校の誕生へ、2、昭34・6・25、八幡中学校の道徳教育、3、昭34・11・1、向上した学校給食、4、昭34年~61年、中学校卒業生の進路状況、5、昭35・4・8、可美中学校の給食施設のお願い、6、昭35・4・25、和田小学校のクラブ活動、7、昭35・4・25、村櫛中学校の生徒会活動、8、昭35年・36年、小中学校全校へ十六ミリ映写機、9、昭36・2・6、中学校は超満員、4月から校区再編成、10、昭37・2・10、文集『はままつ』の発行、11、昭38・1・15、可美幼稚園二年保育実施の陳情書、12、昭40・3・5、児童生徒数のドーナツ化、13、昭43年、西部中学校体育館建設への寄付依頼、14、昭48・11・5、伸び悩む児童・生徒の運動能力、15、昭53・4・20、米飯給食の実施、16、昭57・4・17、17、昭60・10・20、いじめの実態とその解決に向けて、18、昭63年、広沢小学校の国際理解教育、19、平4・7・5、学校週五日制のスタート、20、平10・2・20、学区外就学許可基準の緩和、21、平12・3・1、学校完全週五日制の導入と課題、22、平16・1・27、学校でのインターネット事業、二、高等学校、、23、昭35・3・16、通信教育生、初めての卒業、24、昭37・10・20、高校生の急増に備えて、25、昭40年・43年、昼間定時制高校の新設、26、昭41・10月、西遠女子学園の創立六十周年記念学園祭、27、昭47年度、浜松東高校の生活、28、昭54・3月、高校生の高等教育機関への進学状況、29、昭56・9・22、高校生急増と二高校の新設、30、昭60・1・25、高校におけるパソコンの活用、31、昭61・8・1、信愛学園高校に電子オルガンコース、32、平3・7・5、全国高校総体の開催に向けて、33、平14・4・8、浜松西高校・浜松日体高校、中高一貫教育へ、三、大学、34、昭37・1・5、東京に学生寮完成、35、昭41・2・5、静岡女子短期大学浜松教場の開学、36、昭48・1・15、国立医大、浜松設置に決定、37、昭54・3月、高等教育機関の現状、38、昭63・4・14、常葉学園浜松大学の開学、39、平6・6月、浜松医科大学の二〇年、40、平8・3・29、静岡情報学部の誕生、41、平11・1月、浜松の大学機関とその定員、42、平12・1・20、静岡文化芸術大学の開学、四、養護教育、43、昭44・9・20、高砂小学校の言語指導教育、44、昭44・10・1、浜松療護園の現状、45、昭48・10・5、障害児教育の実情、五、各種学校と専門学校等、46、昭34・6月、予備校・東海学院の誕生、47、昭40・4・5、浜松高等看護学院の新校舎完成、48、昭42・8・20、総合職業訓練所の建設、49、平12・2・1、ブラジル人学校の開学、50、平16・2・21、笹田学園デザインテクノロジー専門学校のデザインコンペティション、六、教育行政と教員研修、51、昭39・10・18、教職員の勤務条件改善の要請、52、昭49・6・20、西遠総合教育センターの活動、53、平15・11月、小・中学校、幼稚園の規模適正化へ、54、平16・6月、学校への補助員・支援員の配置、七、社会教育とスポーツ、55、昭36・5・20、青少年の家できる、56、昭37・1・20、少年保護センターの活動、57、昭37・10・1、「浜松よい映画をすすめる会」の概要と会則、58、昭38・3・20、浜松市体育館の完成、59、昭39・9・5、東京オリンピックの聖火リレー、60、昭43・10・1、東部公民館の開館、61、昭44年度、留守家庭児童の現状と対策、62、昭45・7・20、新時代の婦人活動、63、昭48・12・5、学校体育施設の一般開放、64、昭49・10・20、青年学級の活動、65、昭52・6・23、相撲連盟の発足、66、昭53年、補導活動を通した青少年の指導、67、昭54・5・20、江之島水泳場と浜松球場のオープン、68、昭56年、豊かな心を育てる読書会活動、69、昭57年、公民館の実践活動、、70、昭60・7・6、かわな野外活動センターの開所、71、昭63・10・19、社会保険センター浜松の開館、72、昭63年、浜松アリーナの建設、73、平6・1・27、ガールスカウト三十年、74、平7・8・5、とびうお杯、第十回大会に寄せて、75、平16・3月、市民と行政が一体となったNEWわかふじ国体、四、宗教・報徳、一、神社、1、昭35・8・29、浜名郡神社総代会規約と各地区会長への送付、2、昭40・7・18、企業内神社の大祭、3、昭58・6・1、県居神社の再建へ、4、平13・4・3、私はなぜ神道に戻ったか、二、仏教、5、昭40年、浜松市仏教会の会則、6、昭45・10・5、『佛教研究』の創刊、7、昭59・12・13、三、キリスト教、8、昭56・3・14、キリスト教の現状、9、昭56・8・25、喜寿に際して、四、新宗教の社会的活動、10、昭48・10・1、創価学会と公明党、11、昭57・5・1、静岡県光明化の運動方針、五、宗教と自治会、12、昭49、自治会と神社、13、昭60・5月、自治会と宗教、六、報徳社、14、昭44・1・25、上島報徳社の解散、五、産業・経済、一、経済一般・金融、1、昭44・7・3、浜松商工会議所会館の落成、2、昭45・7・1、大手企業の大量求人、3、昭46・3・25、遠州信用金庫の誕生、4、昭46・11・2、県下初の総合産業展示館、5、昭48・3・11、産業廃棄物処理場の建設、6、昭49・1・1、エネルギー危機による影響と対策、7、昭49・12・5、現金自動引き出しコーナーの設置、8、昭51・9・15、金融戦争の過熱、9、昭52・12・15、いつまで続く円高、浜松の主力産業に打撃、10、昭55・5・2、やらまいかの浜松、11、平1・2・1、消費税の導入、12、平1・4・26、浜名湖国際頭脳センターの創立、13、平1・11・1、中小企業の海外進出と国際化、14、平5・7・5、ブラジル銀行浜松出張所の開設、15、平7・7・1、平成不況と創業家の引退、16、平7・8・18、最高路線価、松菱前から遠鉄百貨店東側に、17、平12・7・1、ベンチャーを生み出そう、18、平13・1・1、高度技術産業の集積活性化にむけて、19、平13・11・5、冬の蛍フェスタの開催、20、平14・7・1、オプトロニクスクラスター構想、二、商業、21、昭42・3・20、市場団地の開設、22、昭42・10月、遠鉄名店ビルの誕生、23、昭45・3月、大型店進出の実態、24、昭47・2・25、西武百貨店開店の悲喜こもごも、25、昭48・9・1、遠鉄、松菱に続いてスーパーに進出、26、昭49・1・15、丸井の進出とデパート増設、27、昭49・2・1、買い物は車でが定着、28、昭52・12・1、有楽街の再生なるか、29、昭55・7・1、中心商店街の近代化、、30、昭56・4・25、浜松駅ショッピング街・コスタの開店、31、昭59・11・6、浜松駅前大型店問題、大店審で結審、32、昭62・3月、コンビニエンスストアの経営実態調査、33、昭62・7・2、イトーヨーカ堂オープン、小売店の競争激化へ、34、昭63・5・1、メイワンの開店、35、平3・2・25、ニチイ浜松店の閉店、36、平4・5・1、新生松菱百貨店、37、平9・12・24、西武百貨店浜松店の閉店、38、平12・11・11、ザザシティ浜松西館のオープン、39、平13・11・14、松菱百貨店の破産、40、平16・4・1、大型店の過剰出店と中心街の空洞化、三、鉱工業、41、昭34・10・1、国民車構想でいく鈴木自動車、42、昭38・5・15、コンベア生産の開始、43、昭38・7月、JIS許可工場となるために、44、昭38・12・1、ピアノ量産工場の誕生、45、昭39・4・6、川上嘉市の逝去、46、昭39・11・1、遠州製作のウォータージェットルーム導入、47、昭39・11・20、近藤紡績浜松工場の建設着手、48、昭39年、オートバイ産業の現況、49、昭40・5・25、新幹線電車の初入場、50、昭41・11・10、庄田鉄工の提案制度、51、昭42・1・15、遠州、天竜社両産地の特徴、52、昭42・6・15、世界一を続ける二輪車業界、53、昭44年、馬込川と新川の汚染状況、54、昭46・3月、東名高速道路開通と工業立地、55、昭46・10・25、大東紡織浜松工場の閉鎖、56、昭46年~48年、織物の対米規制による被害救済、57、昭47・1・5、大同染化協業組合の誕生、58、昭48・6・25、円変動相場制化の三大産業、59、昭49・5・5、浜松木工団地の完成、60、昭50・11・1、天竜川の砂利採取、61、昭51・7・20、現代の名工の表彰、62、昭53・2・1、ヤマハ船外機の歩み、63、昭53・8・1、浜松テレビの発展、64、昭53・12・21、浜松初の工場アパート完成、65、昭54・2・22、日楽のボート開発、66、昭54・11・1、ファッション都市へ、67、昭55・9・1、テクノポリス目指す浜松市、68、昭55年・56年、高柳先生の教えで発展した企業、69、昭56・10・5、帽子からペン先に、70、昭57・4・1、浜松ソーラー研究所の開設、71、昭58・7・19、マレーシアからの研修生、72、昭60・9・1、三つの工業団地、73、昭61・3月、光産業の現状、74、昭61・8・1、ピアノ国内販売二十万台を割る、75、昭61年、浜松内陸コンテナ基地の利用、76、昭62・1・1、国鉄からJRへ、77、昭62・4・1、織物大手三社の廃業、78、昭62・10・1、日本楽器製造からヤマハへの社名変更、79、昭62・12・20、円高で悲鳴をあげる中小企業、、80、平2・10・1、鈴木自動車工業の社名がスズキに、81、平3・12・12、ヤマハ発動機のロボット事業、82、平5・9・1、浜松地域テクノポリスの進出企業一覧、83、平5・12・6、高い評価を得たワゴンR、84、平14・10・9、ノーベル賞をもたらした浜松ホトニクス、85、平15・8・29、浜松・周辺市町が光技術玉ねぎ特区に、86、平15・9月、バブル崩壊後の浜松の産業、87、平15・12月、浜松地域の主要工場の変遷、四、農業、88、昭35・5・30、三方原開拓事業の完了、89、昭36年~、西洋野菜の栽培、90、昭37・8・6、深刻な農業労働力の不足、91、昭40・4・5、浜松市初の農協合併、92、昭40・6・1、西遠農業センターの発足、93、昭40・9・20、積極的な南部地域の土地改良、94、昭41年度、農業構造改善事業の実績、95、昭43・5・20、篠原の玉ねぎ出荷、96、昭43・9月、長上土地改良区の概要、97、昭45・10・8、都市発展と農業の変貌、98、昭47・11月、三方原地区防風林処分に関する協定書、99、昭48・1・20、農業振興地域制度、100、昭48・3・15、ブームにわく造園業界、101、昭56・3月、米の減反と転作、102、日本一の馬鈴薯への取り組み、103、昭58・10月、新しい野菜の産地化、104、昭63・7・11、日本一の庄内ほおずき、105、平1・9月、日本一の庄内産ガーベラ、106、平6・8月、JAとぴあ浜松の設立に向けて、107、平7・10月、新食糧法下の米づくり、108、平7・12月、名実ともに日本一のエシャレット、109、平8・3・12、花き流通センターの完成、110、平8・11月、全国有数の寒小ギク、111、平14・8・21、浜松の花き産業、五、水産業、112、昭50・3月、浜名湖の漁場造成事業、113、昭52・6月、浜名湖の漁業、114、昭54・11・1、村櫛港の整備、115、平14・3月、浜松ブランドのうなぎ、116、平16・1・1、遠州灘のとらふぐ、六、交通・通信、一、道路・橋梁、陸上・海上輸送ほか、1、昭36・3・13、道路幅を拡張しよう、2、昭36・3・28、高度成長期前期の定期トラック便、3、昭36・4・24、成子こ線橋の開通、4、昭36・10・20、東海道高速自動車道路、5、昭37・3・22、新街路計画きまる、6、昭40・1・20、天竜川の新鉄橋、7、昭40・10・20、増える国道の交通量、8、昭41・5・5、国道バイパスの着工、9、昭42・12・5、三か所に地下道、10、昭44・2・1、東名高速道路の開通、11、昭44・10・27、浜松バイパスの開通、12、昭45・10・1、国道一五二号線バイパスの開通、13、昭46・7・11、浜松内陸コンテナ基地の誕生、14、昭48・4・1、浜名湖大橋の開通、、15、昭49・3・20、16、昭52・3・20、浜名湖観光汽船の廃止、17、昭56・11・5、環状線の建設計画、18、62・6・5、主要道の舗装率は百パーセント、19、平1・9・27、遠州大橋の開通、二、交通安全・交通規制・交通安全施設、20、昭37・3・2、新川駐車場設置の請願書、21、昭39・6・20、新川駐車場の営業開始、22、41・1・20、伝馬町にも駐車場、23、昭42・5・5、交通事故多発地帯浜松、24、昭45・11・20、立体駐車場のオープン、25、昭50・11・1、バス優先レーン県下初の実施、26、昭52・4・20、減ってきた交通事故件数、27、平5・4・26、県内初の駐車場案内システム、三、東海道本線・新幹線・浜松駅、28、昭36・9・26、東海道新幹線建設対策の協議会、29、昭39・9・21、新幹線の開業、30、昭43・2・15、東海道線高架化促進、浜松市民決起大会での決議文、31、昭46・3・20、西浜松駅の操業、32、昭54・10・1、東海道本線の高架化完成、33、昭55・6・1、ひかり号停車の実現、四、遠州鉄道、34、昭37・6・27、奥山線気賀口・奥山間の廃止許可申請書、35、昭39・4・6、奥山線廃止での市の要望条件、36、昭39・9・21、奥山線の廃止、37、昭41・1・5、生まれ変わる奥山線、38、昭60・12・1、遠州鉄道高架の完成、五、二俣線・佐久間線ほか、39、昭42・6・20、佐久間線の着工、40、昭44・9・11、国鉄佐久間線建設工事、早期完成の陳情書、41、昭61・5・15、二俣線、国鉄から第三セクターへ、42、昭62・3・15、天竜浜名湖鉄道の開業、六、バス・タクシー、43、昭38・3・1、バス発着所の全面変更、44、昭42・3・1、市営バスのワンマンバス化、45、昭53・9・20、市営バス路線の一部廃止、46、昭57・11・1、バスターミナルの完成、47、昭59・2・20、市営バスの移管計画、48、平9・12・25、オムニバスタウンの指定、49、平11・9・1、タクシー業界の新サービス、50、平14年、浜松市循環まちバスの運行、七、郵便・電信・電話ほか、51、昭35・4・18、大阪・名古屋への即時通話、52、昭36年、三方原開拓農事放送の概要と組合の創立総会、53、昭37・9・20、市内電話の現状、54、昭39・2・20、増える電話とその対策、55、昭40・2・20、有線放送の普及、56、昭41・12・5、周辺地区の電話が続々と自動化、57、昭48・4・16、西郵便局の自動化、58、昭52年、浜松の電話と電報、59、平2・12・5、市外局番の統一進む、八、ラジオ・テレビ、60、昭34・11・20、NHK 浜松放送局、テレビ放送開始、61、35・8・20、NHK教育テレビの開局、62、昭43・8・20、UHFの民間テレビ局の開局、、63、昭50・10・25、混戦模様の新テレビ局獲得合戦、64、昭53・7・1、けんみんテレビの開局、65、昭58・2・1、FM静岡の開局、66、平6・5・15、県内初のコミュニティエフエム開局、67、平7・3・31、テレビはままつの開局、七、社会、一、市民生活、1、昭34・8・5、防空壕の埋め立て、2、昭35・3・5、多くなった非行少年、3、昭35・4・1、浜松の小路・八丁通、4、昭35・6月、松菱の冷房開始、5、昭35・8・20、南米へ移住するには、6、昭35・10・20、結婚式は公民館で、7、昭36・11・20、鷺の宮団地の建設、8、昭41・6・5、家庭の日の制定、9、昭43・10・5、都市ガスの普及、10、昭45・5・25、ガードマン制度の導入、11、昭46・10・10、会社員の耐久消費財所有状況、12、昭46・10・13、分譲マンション時代の幕あけ、13、昭47・6・5、結婚式場の新増設、14、昭47・9月、電子レンジの普及、15、昭49・1・25、石油危機による品不足と物価高騰、16、昭51・3・25、給与の銀行振込制度始まる、17、昭51・7・5、酸性雨に注意、18、昭56・4・1、街に出られない車椅子、19、昭57・3・5、深刻な空き缶公害、20、昭57・3・20、初めてのハンバーガーチェーン店、21、昭61・7・5、在住外国人の生活アンケート、22、昭61・11・30、フリーマーケットのにぎわい、23、昭62・12・29、放置自転車対策に本腰、24、昭64・1・7、改元日記、25、平2・5・5、共同住宅建築の指導要綱、26、平2・10・1、カタカナ語の氾濫、27、平4・4月、結婚相談所の活動、28、平6・1月、平成不況をいかに乗り切るか、29、平6・3・5、平成の米騒動、30、平7・11・12、ホームレスの出現、31、平8・6・1、ついに億ション登場、32、平9・9・1、日系外国人の住宅不足、33、平11・11月、市民農園の歩み、34、平12・1・1、外食産業の進出とグルメ街道、35、平12・10・1、消費生活センターの開所、36、平13・1・8、分散型成人式、静かに、37、平13・4月、JAの葬祭部門進出、二、社会福祉、38、昭36・5・8、老人クラブ連合会、初の総会を開催、39、昭37・8・6、国民年金加入率、全国最上位の浜松市、40、昭39・11・5、経費老人ホーム・佐鳴荘の開所、41、昭43年頃、エデンの園趣意書、42、昭44・5・30、身体障害児訓練センターの開所、43、昭49・1・1、清明寮の子どもたち、44、昭49・9・10、移動入浴車・はまかぜ号スタート、45、昭49・12・5、七十歳以上の老人にバス乗車券、46、昭55・4・1、高級老人ホームの開設、47、昭55・7・29、江之島荘のオープン、、48、昭56・7・1、盲人のための老人ホーム、49、昭56・8・1、浜松学園の職業訓練、50、昭59・4・21、福祉文化会館の完成、51、昭59・12月、乳児院の創設と運営、52、昭60・4・5、初めてのデイサービスセンター、53、平9・8・20、在宅介護支援センターの活動、54、平12・4・7、介護保険一週間、不安募らす利用者、三、労働、55、昭36・4・5、織姫の福祉センター、56、昭37・3月、定年は五十六歳に、57、昭40・2・25、企業の慰安会、58、昭41・5・5、移転就職者用住宅の完成、59、昭42・4・3、進む労働時間短縮、60、昭42・10・24、浜松市職員組合への警告書、61、昭43・4・5、集団就職者ぞくぞく浜松へ、62、昭43・5・23、勤労青少年寮の開寮、63、昭45・4・1、パートタイマー花盛り、64、昭45・5・1、65、昭49・12・5、わたしと職場、66、昭52・8・20、家内労働法を守ろう、67、昭54・3・1、給食弁当と委託社員食堂、68、昭54・4・1、大幅賃上げの終えん、69、昭55・11・21、企業の定年延長、70、昭57・1・1、定年後の人生、71、昭57・6・30、シルバー人材センターの設立、72、昭57・7・11、大手企業の夏休み、73、平3・12・1、育児休業制度の導入、74、平4・3・29、遠労会議の解散、75、平5・1月、フレックスタイム制の導入、76、平5・6・1、名古屋入国管理局浜松出張所の開所、77、平8・12月、週四〇時間制への取り組み、78、平11・9月、雇用のミスマッチ、四、社会運動、79、昭36・4・1、青年会の魅力、80、昭47・1・1、浜松消費者の会の誕生、81、昭50・3・30、青年婦人会館の開館、82、昭50・9・1、前進する同和対策事業、83、平6・3月、盛んになったボランティア活動、84、平11・10月、日本女性会議、浜松からの提言、85、平12・8・1、浜松いのちの電話の活動、86、平13・3月、男女共同参画社会の推進にむけて、87、平17・8月、ソロプチミスト浜松の活動、五、行事・風俗・娯楽・観光、88、昭34・5・22、舘山寺、弁天島を抜く、89、昭39・3・18、浜松初のボーリング場、90、昭42・4・20、たこあげ会場中田島へ、91、昭42・11・1、定期観光バスの運行開始、92、昭44・6月、東名開通とマイカー普及にわく舘山寺、93、昭45・3・20、フラワーパークの開園、94、バー・キャバレーの約半分は千歳町に、95、昭48・8・1、黒字経営の舘山寺荘、96、昭49・8・25、海外旅行のブーム続く、97、昭49・10・15、ボーリング場の悲惨な現状、98、昭49・12・25、舘山寺温泉にも不況の波、99、昭51・1・11、スポーツクラブの誕生、、100、昭51・3・21、ゴルフ場の乱立、101、昭51・6・5、ゲートボールの始まり、102、昭54・4・1、旅館からホテルへ、103、昭56・2・18、旅荘「大谷」建築反対に関する陳情書、104、昭58・3・5、新動物園のオープン、105、昭58・4・1、消えていく花柳界、106、昭60・4・17、浜松まつり会館の落成、107、昭61・5・13、森の水車をつくる、108、昭61・10月、第一回浜松秋まつり開催によせて、109、昭62・1・1、若者の社交場・ディスコ、110、昭62・5・1、凧をつくる人たち、111、平1・9・1、カラオケボックスの流行、112、平1・9・8、舘山寺温泉の新泉源、113、平2・9・1、大型銭湯の人気、114、平3・10・15、遠州灘海浜公園の整備、115、平5・11月、バンビツアーの歴史、116、平7・6・8、ジャズウィークの開催、117、平8・9・20、フルーツパークのオープン、118、平9・7・19、浜名湖畔の新しい遊園地、119、平11・9・1、浜松観光コンベンションビューローの活躍、120、平13・4・1、見学者が押し寄せるエアーパーク、121、平14・4月、観光ボランティアの活躍、122、平15・4・1、熟年に受けるグランドゴルフ、六、子どもの世界、123、昭34・6・19、紙芝居とテレビ、124、昭35・8・5、子ども会を作ろう、125、昭37・8・19、待望の児童会館が完成、126、昭59・8・5、当世子ども事情、127、平5・6・20、魅力ある子ども会に、128、平13・10・20、浜松こども館のオープン、八、医療・厚生、一、医療・厚生、1、昭34年、国民健康保険の実施、2、昭42・4月、労災病院の開院、3、昭48・3・28、県西部浜松医療センターの開院、4、昭49・5・20、夜間救急室のオープン、5、昭49・10・5、医学のために献体を、6、昭57・11・5、救命救急センターのオープン、7、昭58・3・20、口腔保健医療センターのオープン、8、昭59・6月、浜松医科大学開学十周年記念誌の序文、9、昭60・6・30、聖隷ホスピスの歩みと考え方、10、昭63・4・7、脳・精神科学国際会議の開催、11、平2・11月、衝撃波による結石破砕装置の導入、12、平4・5月、MRIの導入、13、平4・9・1、「患者の権利」に関する宣言、14、平9・1・1、FI開催と救急医療ヘリ、15、平10・1・1、薬剤師法の改正と薬剤師の役割と責任、16、平11・11・5、浜松市リハビリテーション病院のオープン、17、平11・12・1、院外処方箋発行只今進行中、二、保健・衛生、18、昭37・7・5、下水道終末処理場の操業、19、昭37・12・23、浜名南部助産院設置についての陳情書、20、昭45・5・20、浜松赤十字血液センターの開設、、21、昭57・2・5、母子保健センターのオープン、22、昭63・3・5、保健婦の活躍、23、平4・7・1、発達医療総合福祉センターの誕生、24、平10・3・16、滞日外国人への医療援助活動、三、予防・検診、25、昭36・7・29、経口生ポリオワクチンの投与、26、昭48・2・1、成人病検診からわかったこと、27、平5・8・20、エイズの実態と予防対策、28、平7・9・1、健康診断の歴史と現状、29、平10・5・20、8020運動達成のために、30、平12年、感染症サーベイランスとコメント、四、発症事例、31、昭53年度、増えている子どもの骨折、32、昭54・9・25、結核の発生状況と問題点、33、昭60・9・5、深刻になったボケ問題、34、平15年度、色覚異常者の取り扱い、九、文学・文化、一、文学、1、昭34・8・1、『おるごうる』の創刊、2、昭34・10・5、『浜松詩人』の編集後記、3、昭38・1・25、『濱人句集』の刊行、4、昭38・1・30、『遠州文学』創刊号の編集後記、5、昭38・8・20、『ゴム』の創刊、6、昭40・12・15、『浜松歌人』の刊行、7、昭45・7・18、芥川賞受賞の吉田知子、8、昭49・1月、『遠州灘』創刊号の編集後記、9、昭50・1月、『市民文芸』二十年の歩み、10、昭50・3・1、清水みのるの浜名湖讃歌、11、昭51・11・15、児童文学作家・那須田稔、12、昭52・5・25、『未遂』創刊号の編集後記、13、昭54・10・4、舘山寺温泉観月と俳句の会の開催、14、昭55・3・15、『浜工文学』の終刊、15、昭56・8・25、『後藤一夫全詩集』の刊行、16、昭58・12・1、『椎』の俳句、17、昭60・2・8、『労苑』三十年をかえりみて、18、平1・10・18、米田一夫の業績、19、平3・7・1、鈴木里志の川柳と『いしころ』の刊行、20、平5・11・5、ゆすらの戦争俳句集、21、平6・9月、村越一哲戯曲集のあとがき、22、平10・4・25、鈴木光司の小説、23、平17・8・25、『鹿』百号刊行によせて、二、文化、24、昭35・3・31、浜松読書文化協力会の運動、25、昭36・6・20、市民会館の完成と開館記念公演、26、昭36・9・20、街から町へ移動文化館、27、昭37・1月、労演をつくろう、28、昭37・4・2、浜松市民劇場の発足、29、昭38・9・15、『高林方朗の研究』の刊行、30、昭39・5・6、蜆塚遺跡に陳列館完成、31、昭41・3・1、『浜松百撰』百号昭発行への祝辞、32、昭42・12・1、『浜松民報』の廃刊、33、昭43・6・1、『浜松文化モニター』創刊の辞、34、昭43・6・1、図書館南分館の開館、35、昭46・7・1、浜松市美術館の開館、36、昭47・3・1、遠州大念仏、市の無形文化財に、37、昭47・5・16、荘智世恵カルメンに、、21、昭57・2・5、母子保健センターのオープン、22、昭63・3・5、保健婦の活躍、23、平4・7・1、発達医療総合福祉センターの誕生、24、平10・3・16、滞日外国人への医療援助活動、三、予防・検診、25、昭36・7・29、経口生ポリオワクチンの投与、26、昭48・2・1、成人病検診からわかったこと、27、平5・8・20、エイズの実態と予防対策、28、平7・9・1、健康診断の歴史と現状、29、平10・5・20、8020運動達成のために、30、平12年、感染症サーベイランスとコメント、四、発症事例、31、昭53年度、増えている子どもの骨折、32、昭54・9・25、結核の発生状況と問題点、33、昭60・9・5、深刻になったボケ問題、34、平15年度、色覚異常者の取り扱い、九、文学・文化、一、文学、1、昭34・8・1、『おるごうる』の創刊、2、昭34・10・5、『浜松詩人』の編集後記、3、昭38・1・25、『濱人句集』の刊行、4、昭38・1・30、『遠州文学』創刊号の編集後記、5、昭38・8・20、『ゴム』の創刊、6、昭40・12・15、『浜松歌人』の刊行、7、昭45・7・18、芥川賞受賞の吉田知子、8、昭49・1月、『遠州灘』創刊号の編集後記、9、昭50・1月、『市民文芸』二十年の歩み、10、昭50・3・1、清水みのるの浜名湖讃歌、11、昭51・11・15、児童文学作家・那須田稔、12、昭52・5・25、『未遂』創刊号の編集後記、13、昭54・10・4、舘山寺温泉観月と俳句の会の開催、14、昭55・3・15、『浜工文学』の終刊、15、昭56・8・25、『後藤一夫全詩集』の刊行、16、昭58・12・1、『椎』の俳句、17、昭60・2・8、『労苑』三十年をかえりみて、18、平1・10・18、米田一夫の業績、19、平3・7・1、鈴木里志の川柳と『いしころ』の刊行、20、平5・11・5、ゆすらの戦争俳句集、21、平6・9月、村越一哲戯曲集のあとがき、22、平10・4・25、鈴木光司の小説、23、平17・8・25、『鹿』百号刊行によせて、二、文化、24、昭35・3・31、浜松読書文化協力会の運動、25、昭36・6・20、市民会館の完成と開館記念公演、26、昭36・9・20、街から町へ移動文化館、27、昭37・1月、労演をつくろう、28、昭37・4・2、浜松市民劇場の発足、29、昭38・9・15、『高林方朗の研究』の刊行、30、昭39・5・6、蜆塚遺跡に陳列館完成、31、昭41・3・1、『浜松百撰』百号昭発行への祝辞、32、昭42・12・1、『浜松民報』の廃刊、33、昭43・6・1、『浜松文化モニター』創刊の辞、34、昭43・6・1、図書館南分館の開館、35、昭46・7・1、浜松市美術館の開館、36、昭47・3・1、遠州大念仏、市の無形文化財に、37、昭47・5・16、荘智世恵カルメンに、、38、昭48・6・18、『浜松大空襲』の刊行、39、昭50・6・20、伊場遺跡資料館のオープン、40、昭51・10月、浜松交響楽団、第一回定期演奏会のあいさつ、41、昭51・12・20、『遠江』の創刊、42、昭52・2・15、浜松の新聞、『静岡新聞』が急増、43、昭53・2・1、川上源一とJ・O・C、44、昭53・10・18、『摩訶庵蒼山全集』の序文、45、昭54・1・20、『賀茂真淵』の発刊、46、昭54・4・1、よくぞ集めたり‐博物館のオープン、47、昭55・7・9、豊橋・浜松読書交歓会、48、昭55・9・6、ヤマハ吹奏楽団の活躍、49、昭55年・56年、高柳先生、文化功労者と文化勲章に輝く、50、昭56・4・14、中央図書館のオープン、51、昭56・10・20、浜松の空に音楽の虹を、52、昭56・12・20、若き日の徳川家康公の銅像、53、昭56年・57年、『土のいろ集成』の刊行、54、昭57・2・20、浜松市天文台完成へ、55、昭57・12・17、浜松国際交流協会の発足、56、昭58・11・5、浜松城公園の整備、57、昭59・1・24、本格的なパイプオルガン、浜松に、58、昭59・4・14、浜松プロムナードコンサート、59、昭59・7・25、浜松子ども劇場十周年の祝辞、60、昭59・10・20、賀茂真淵記念館のオープン、61、昭60・2月、「浜松わたしのイメージ」の総評と大賞、62、昭60・12・8、ハレーすい星の観望会、63、昭61・3・5、浜松市文化協会の発足、64、昭61・5・1、浜松科学館の開館、65、昭62・3・31、『わが町文化誌』の刊行、66、昭62・8・28、『中日新聞』の浜松進出、67、昭63・4・27、浜松文芸館の開館、68、昭63・8・5、浜松復興記念館の開館、69、昭64・1・1、中部航空音楽隊の活躍、70、平野美術館の開館、71、平3・7・19、浜松城薪能の開催、72、平3・9・5、浜松国際ピアノコンクールの開催、73、平4・6・19、かたりべの会の受賞、74、平7・1・27、浜松ゆかりの芸術家顕彰に仲道郁代さん、75、平9・11・22、松韻亭の開室、76、平10・2・20、アクトシティ音楽院の開設、77、平11・8・29、市民オペラの開催、78、平14・10月、木下恵介記念はままつ映画祭の開催、 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